私の一年間
四代

岩寺 一之
 沼田町という農村と炭鉱の町で製材工場を経営していた私が国有林の今後の販売方法についての局側の方針、また吋材、内向材、針葉樹の価格等と先輩会員からできるだけ早くキャッチしたいと思う単純な気持ちで木青に入会しました。

真面目に例会に出席しているうちに二瓶さんに副支部長を命ぜられ、その後先輩連中に"ふく"という居酒屋に連れて行かれ気の弱い私を強談のうちに四代目の支部長として指名され、私自身気が遠くなる程の重責を感じていました。

会員の皆様に如何に有意義な例会にし、若い木材経営者の集いに1人でも多く参加して貰える様にと私なりに努力を傾注していましたが、なかなか理想的な知恵が廻らず一年を経てしまいました。

しかしながら幸いにも木青に非常に理解がある山河旭川営林局長を迎えて勉強会を重ねたこと、特に協同組合を中心とした今後の北海道の木材業界の展望を大いに語り合うチャンスを作ってくれました。

いわゆる「限定された個人の力には先が知れている。そこに協同組合の存在価値があるのでそれを充分理解し”業”の基盤を協同の精神で作り上げるべきだ」と山河局長が声を大にして指導してくれました。

そして局長を先頭に奈良の桜井製材協同組合を視察し桜井の指導者と我々会員13名と大いに語り合い勉強をした事、また労働問題については基本的な"労働三法"の解説を受け今後の指針を示してくださいましたことなど私にとっては此の上もない幸いでありました。

とくに41年度に全国林材青壮年団体連合第11回大会が札幌市において行なわれ斎藤先輩が大会準備委員長の任に当たり総務部長には二瓶先輩が担当し会員総力を傾注しその任に当たり大会当日の一週間前より札幌市に泊り込みで任務を遂行し千人に余る会員大会を盛会に終わらせたことは私達にとっては忘れることが出来ない思い出の一つです。

特別会員の古屋さんが市会議員に当選、また一方風連の伊東公三郎会員の交通事故による死亡等私にとりましては支部長としての1年は非常に長く感ぜられました。

そして木青の存在が関係各界から重視されている事実を身をもって知りました。

 いづれにしても若いときの支部長など1つの組織のリーダーとして働かせてもらえましたことは人生のうえにかけがえのない体験であってこれが公に私にプラスとなっていることを痛感しているこのごろです。

 なにはともあれ、先輩や会員各位の力強いバックアップによって曲がりなりにも1年を経てわけですが、思えばずいぶん神経をついやしたこともあり、また活動指針に目標にむかってエネルギッシュに躍動したときもありました。

すべてが人生の体験であり、思い出でもあります。